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美しいという生き方。-ドリアン・グレイの肖像-

美しいものが好き。


美しさを感じ、
それを心の中で磨き、
鮮やかに人生を彩りたい。

自分はそういう気持ちが人一倍強い気質をしていると思う。



可愛い
愛らしい
男前
素敵
綺麗
可憐
優美
雅やか
妖艶
悲壮
儚い。

これらの言葉を使う時、前提にあるのが、“美しく”ということだ。

美しく可愛い。

美しく妖艶。

美しく儚い。

言葉の意味は違うのに、それらは全て美しいという想いから発せられる。

この美しい瞬間を記憶に留めたい。
人に伝えたい。

そして自分のものにしたい。



ドリアン・グレイは“美しさ”を、永遠に自分のものにしたかった。そう思う人の性に、真っ白な心のままに触れ、自我の芽生えるその心のままに進んでしまった。


あまりにもその姿が美しく、その無垢で純粋な美しさを写し出した絵画の“美貌”の部分だけに強く惹きつけられていた。


それは、描いた絵師も友人も一緒で、素晴らしい作品だと、写し出された美貌に崇高な感情を抱いていた。


美しさ、とは。
麻薬のように人を酔わせる。
時に酷く残酷である。


もしあの時に、「貴方の美しさは若さからなる美貌ではなく、その純粋無垢な心なのだ」。という人があったなら、ドリアン・グレイは別の祈りを捧げたはずだ。



美しさに対する絶望とはどのようなものかを、優馬くんは他の誰よりも知っているだろう。


されど、彼はそんな己の運命を自分の力で変えた人だと思う。


同じ平行線で歩くことが出来る仲間は居ないという、運命を受け入れた時、その残酷さは悲しいほど、美しかっただろう。


恒星であり続けなくてはいけない宿命のなかで、月のような優しい光をもっている人。


そんな優馬くんを、私たちは今日も明日も


“美しい”


と思うのだろう。